ピアノを調律してもらった。
ベヒシュタインを買った店で3回調律してもらって、「次は今年の4月ごろに」ということだったが、この店の調律師さん(店舗の営業店員さんでもある)が忙しいのか、そういう方針なのか、調律の営業電話は一切なく、「予約してね」のはがきは来るものの、こちらがアクションを起こさないと調律に来てもらえない。
カワイのピアノの時はきちんと電話がかかって来て、手間なしだった。
でもそれは反面、調律師さんを変えたいときには、電話が直接かかってくると断りづらい。
で、今回、やっぱり営業電話はかかってこなかったので、久しぶりに、初めてアップライトピアノを買った時にお願いした調律師Mさんに来てもらった。
決め手はなにしろ調律代がリーズナブルで、11,000円也。
購入店では、輸入ピアノはなぜか割り増し料金設定で、17,600円也。
グランド料金。笑
まあなんか、ベヒシュタインのピアノ調律の講習会で勉強しているというような話ではあったけれども。
調律師Mさんは、「音の狂いはそれほどでもないけれど、気になるところもあるので、整音してみましょう。音程が合っていれば良いというものでもないので。」と言って、ハンマーのフェルトを刺したり削ったりしてくれた。
私の部屋のグールドのカレンダー(今年のものではないけれど、ポスター代わりに飾っている)を見るや、「グールドお好きですか?」というところから始まって、私がバッハ好きでバッハしか弾かないと言ったら、「バッハですねー、練習しなくちゃ、とは思うんですけど…」という答えが帰って来た。
ちょっとがっかり。
私は練習したってうまくは弾けないけれども、バッハを練習しなくちゃいけない対象とは見ていない。
バッハを弾くことが楽しいし、好きなのだ。
そして、バッハを練習の一環だという考え方の人とは、相通じることのない残念な気持ちを抱いてしまう。
そこで、ハッと気づいたことがある。
調律師Mさんに、「調律に何かご希望はありますか?」と聞かれたとき、「いや、特にありません。」と答え、お任せしてしまったけれども、そこで、「バッハしか弾かないので、それ用にお願いします」と言ったら良かったのではないか?
ショパンや、ドビュッシーなどペダル多用の曲と、バッハでは違うよなあ?
よし、次回の調律はそういう注文をだしてみよう。
できれば、バッハ好きの調律師さんにお願いしたいけれど、探しようがないなあ。


